jun09000000's blog

書きとめていたもの

数論輪廻転生2

確かに生なる期間/この世/あるいは一定の短い期間だけを
観察してみますと
運/不運/不条理/理不尽/ひいき
に思えるといったこともあるかもしれません

この世に在るこの法/装置/理
を偏り無く欲目無く観てみますと
完全で平等の痕跡が観えます
あくまで「痕跡」が観えます
この法/装置/理が差別を目指しているとは思えない「痕跡」があります
途中途切れて観え無い部分もあります

しかし途中途切れて観え無い部分だけが
即ちこの法/装置/理の平等を崩して存在している
とは思えません

途中途切れて観え無い部分も
この 法/装置/理の完全な支配下にある
と思うのが自然界のその他の法と比較しても
妥当であると思います

古代インドの人々あるいはさらに人類の始祖は
そのように考え
輪廻思想を以って
この法/装置/理=神の完全/平等/万有を類推したのではないか
と考えます

生命体固有の普遍の意識/魂/意志
が存在し
この世を流転する
という思想です

この場合肉体の死滅をもってしても
この法/装置/理=神が
なんらその罪の「時効」としないとなります
永遠に罪は罰を追い
行為もその報い/果実/褒美をもまたそれを追う
ということになります

ここにおいて逃れられない
完全で平等な法/装置/理が完成されます

意識/意志/魂に全ての想いと行為に責任と自由/権利が発生します

こうなるとこのシステム上に偶然や運/不運は何一つ無い
ということになります

魂の想いと行為のその時の選択可能な限りの自由と
それに応じて法が払い出す値
ということになります

刑/果実の執行は不定期です
しかし必ず執行されます
時効はありません

完全で平等な法/装置/理が成立します

生命体の肉体の死滅後のこの場合の「意識/命/魂」とは
大脳などの活動による具体的な記憶/思考活動とは異なる
「意識/命/魂」の「向き/ベクトル」に近いものとなります

苦しみと至福のみが感受できる命の最小単位/コア
のようなものになります

例えれば「意識/命/魂」とは+と-即ち苦と快をもった「電池/電気/電流」となります
生命体の肉の部分は電池以外のメカの部分となります

「意識/命/魂」⇒永遠⇒永久浮遊電源/電気的な永久エネルギー体/命子となります

科学的/物理的にそのようなエネルギー体は確認されていません
あくまで空論です例えです

完全で平等な法/装置/理=神が存在すると

生命体の最小単位/命/コア/魂/意識/命子は死滅しない/連続することになり

完全で平等な法/装置/理=神は非人格的な法則/機械であり

また如何なる存在もこの法を逃れることはできない

となります

 

完全な命の自業自得因果応報システムが完成します

あくまで空論です例えです

 

 

ここで何がいいたいのかと言えば

*不運(に思える出来事
)がありその後しばらくヤケになってした行動も
神/法は待ってくれない
神/法に情状酌量は無い
神は機械のように人を法に拠って裁く

*肉体の死を持って魂/意識の免罪/時効/罪の無効化が出来ない

*命/魂/意志の全ての行為と想いに対する果実/報い/報酬は必ず負う/100%還元される

*本質的に事象に偶然は無く全て必然である

ということです

 

 

あるいは
命/魂/意志の選択肢もまた必然であり
ビッグバン以来一切が決定していると考える人もいるかもしれません
そもそも生命体や人間の意志に自由などなく
自由で選んでいるつもりでも予定調和/必然であり
一切が決定されているのだ、と。
つまり運命完全決定論/この世は神の自作自演

と思えばそれで良いと思います
また本当に心底あなたがそう思えたら
それはそれであなたの苦しみと迷いはなくなるでしょう

 

私は
命/魂/意志の全ての行為と想いは一定の範囲で自由であり
この「一定の範囲」も自分の創りだした因の果/実とする立場を取ります

果と現象に偶然は無く
結果と現象/境遇は必然であるけれども
因/行為の選択はいつでも自由である
因/行為の選択は命/魂/意志にゆだねられている
とする立場を取ります

 

運命完全決定論は一切の事象を誰かの責任にし神の責任にする立場です
親が悪い友達が悪い教師が悪い国が悪い社会が悪い神が悪い
自分は何もしていない誰かのせいで止む得ずこうなっている
選択の余地は無い自分は何も選んでいない
とする考えです
命/魂/意志/因の自由は無いとする考えです
自由の無限の放棄によって責任もまた無限に逃れることができます


命/魂/意志/ 因の自由が在るとすれば
その自由と同時に責任も負います
自分が悪い→自分が悪い→自分が悪い・・・となります
自分が良い→自分が良い→自分が良い・・・となります
自由と等価の責任を所有することになります

 

運命完全決定論では世界は
因→果→果→果→果・・・となります
何処にも選択の余地はありません
結果/境遇/果実はすべて自分以外の誰かの「せい」になります

命/魂/意志/ 因の自由の立場ですと
因→果因→果因→果因→果因→・・・
果は因による必然ですが毎回、因/選択の自由が発生します
すべては自分の「せい」になります
自由が発生します
同時に等価の責任が発生します
結果/境遇/果実はすべて自分の「せい」になります