jun09000000's blog

書きとめていたもの

消滅

やせ我慢は嘘で
在りのままではありません
"欲しい"が己の内に未だ在るとき
"欲しい"が己の内に在ると在りのままに知り
"欲しい"が己の内に無いとき
"欲しい"が己の内に無いと在りのままに知る

やせ我慢とは
"欲しい"が己の内に未だ在るのに
"欲しい"が己の内に無いと自分の在りのままを偽ることです

自分の心の在りのままを偽るならば
"欲しい"は無くなりません

怒っているのに怒りはないと
自分の心の在りのままを偽るならば
怒りは無くなりません

欲や怒りは
想いや行為に変化しますが
想いや行為を停止しますと
ただ苦痛だけが己の内に残留します

想いを停止しても
またしばらくすると
いつのまにか
想いが沸いてきます
欲では"欲しい"が
怒りでは
"あいつが悪い/許せない"が
何度でも沸いてきます

想いを停止し
また沸いてきたら
沸いてくるごとに
何度でもその想いを停止します

最終的には
想いは少なくなり
最後に感情と激痛のみが残留します
その感情と激痛は
苦しみを苦しむ作業で
ただ苦しみつくすことで消滅します
罪が清算され
"許し"が獲得できます

怒り/恨み/呪うとは
その想いをただ歯止め無く想い続けることです

怒らない/恨まない/呪わないとは
その想いが発生したらそれに気付いて止め
また再び発生したらそれに気付いて止め
その想いが己の内に発生するたびに気付いて止め
何度でも発生するたびに気付いて止めることです


怒らない/恨まない/呪わないとは
自分は人間ができているのでそのようなものは無いと
思い込み虚偽の報告を自分にすることではありません
やせ我慢すること/いい人を自分にも他人にも演じることではありません

また
怒りの苦しみを苦しみ尽くし
罪の清算をし
"許し"を獲得したとき
怒り/恨み/呪いは本当の意味で消滅します

 

道徳の時間にならった
怒らない/恨まない/呪わないとは
違うと驚かれる人もいると思います

道徳の時間にならったような
簡単な怒り/恨み/呪いの停止などあろうはずもありません

怒り/恨み/呪いの停止/抑止/消滅は
自らの激痛を自らが苦しみ尽くすことによって
はじめて消滅するものだからです

道徳の時間にならった
怒らない/恨まない/呪わないでは
やせ我慢する者
自分で自分に嘘をつく者
偽善者
自分をいい人間と思い込もうとする者
を生み出すと思います

道徳の授業や教え/倫理は
『人に怒らず/人を恨まず/人を呪わないとき
代わりに自分が地獄の苦しみを一時的に負い/受けること』
(罪の清算/苦しみを苦しむ)
が発生することの記述が欠落しています

それだから"道徳"では本当のことが得られないし
納得ができない
ことが多いと思います