jun09000000's blog

書きとめていたもの

競争

自分は競争が苦手です
嫌いです
得意では無いです

それだから今まで無意識的に
これを回避する方向で
生きてきたようにも思います

全てにおいてというわけではありませんが
所々で競争しないですむ方に走る傾向がありました

これは今思うと
自己能力の劣等意識に基づいており
能力の無さを自覚していたからであり
敗北の苦痛を知っていたからであると思います

周りにいるほとんどの人がパンを求めれば
花を求め
周りにいるほとんどの人が花を求めれば
パンを求め
周りにいるほとんどの人が遊べば
勉強し
周りにいるほとんどの人が勉強すれば
遊ぶ
わかりやすく極端に表現すればそういう生き方に近いものです

その傾向があったと思います

 

競争の勝利は果てが無く
どんなに能力があっても
いづれ必ず敗れます
また能力が無い場合
すぐ敗れます
また競争では
自分さえ良ければ良いとなりがちです
それゆえ孤独に陥りやすく
また苦しくなります
"我"と他人の壁が確固たるものになります

競争は確かに全体を結果的に向上させ
それは結局相手のためになり
みんなのためになる
それだからそれはおもやりであり愛である
ここまで見越した上でその想いに基づいて"競争"する者がいれば
その者は愛と真理を所有しており
全くどこにも敗北と苦痛は無いと思います

しかしそれは通常極めて困難な競争のあり方であり
そこまで意識を拡大できる大いなる人物は
少ないのではないかと思います

少なくとも自分にはそれができませんでした


また競争と戦いに生き
競争による敗北と苦痛を何度も乗り越え
何度も立ち上がり
ついには永遠と無上を獲得し
苦痛を克服し
最終的に競争原理の真逆の他者への愛をも獲得する
そのような境地というのは
"在る""あり得る"と思います

ただ極めて茨の険しい道であるとも思います
道中が苦しすぎると思います

それだから
自分は非競争と捨の道の方向へ
無意識的に歩こうとしていた
のだと思います

苦痛が耐えがたく
また優れた能力が無く
敗北が辛かったが故に
です

多くの人の争い求めるところ
多くの人の奪い取り合うところ
の逆を歩き
誰も求めないところ
捨てて在るものを拾うところ
を歩くとき
競争と戦闘を回避することができます


またこのような生き方を
それが意識的であれ無意識的であれ
そうして生きている人
その傾向を持つ者
はわりといるのではないかとも思います

当然この生き方では(運もありますが)
社会的成功者になることはまず無いでしょう

ただ
競争の勝利は果てが無く
どんなに能力があっても
いづれ必ず敗れます
また能力が無い場合
すぐ敗れます
また競争では
自分さえ良ければ良いとなりがちです
それゆえ孤独に陥りやすく
また苦しくなります
自分の勝利しか考えなくなり
他人を落とすことになり
他人の不幸が蜜の味になり
"我"と他人の壁が確固たるものになります
結果として
自分は苦しくなります
自分のことしか考えなくなると
自分が苦しくなります